やさしさの定義

最近、新しいコミュニティに参加した。
初めて出会う方々と話をするのはとても新鮮で楽しみだが、不安や緊張もある。
世の中には本当にいろんなタイプの人がいると身に染みて実感しているが、この場は優しい人が多く、柔和で温かい空間で居心地がよかった。
人の印象は見た目だけではなく、声や話し方、ふるまい、食事の仕方、タイミング、その場の雰囲気、空気感など、様々な要素が絡み合って人間関係は育まれていく。

経験が増えるにつれ、初対面の方に対してもこちらから話すことができるようになったので、本当は人見知りであるということをなかなか信じてもらえないのだが、実は心の中はざわざわし、かなり慎重になっている。周囲の空気や環境などもしっかり気になっている。
どの場面でも、気を張って、盛り上げたり、いつも以上に笑ったりしている自分が、ふと、なんだか頑張って無理しているようで健気に思えてくる。
でも嘘はない。

楽しい時間を過ごせたのだとしても、心は疲弊してしまっている。
嫌な気持ちはないのだが、一人になりたいと思うこともよくあった。

ずっと、自分は本当は優しさのない、冷たい人間なのではないか、と思っていた。
また、そういう自分を友達や周囲の人には知られてはいけない、と思っていた。
長い間そう思っていた。

身の回りの変化や出来事を鋭敏に早く察知してしまう感覚。
見えないものをとらえてしまう能力。
喜べるものもあるが、不安や不快感をともなって、その後の行動に影響を与えることもある。
自分だけが気づいているということで孤独を感じたり、寂しくなったりする。
うまく伝わらないということもよくあった。
でも、その自分の感覚を信じてみよう。

感覚は見えないもので、自分でしか気づけない。
好きも不快も自分だけのもの、他の誰かがどう感じているかを知ることはむつかしい。
もし、誰かと同じように感じていることが気づけた時は、喜びあうのもいい。


“優しさ”とはなんなのか…と時々考える。

誰かが言っていた。
優しい人は、優しくしようと思って接しているわけではない。
優しさが標準装備なので、自覚がないという。
優しいねと言われても「えっそうですか?」という返しをすることが多いらしい。

人に対してだけでなく、あらゆるものに対して目を向け、丁寧に接する気持ち。
優しいと思われるからするのではなく、自分がそうしたいから。何気なく自然にそうしてしまう、という。

優しいと思われたいからする人もいる。自分が優しい人だと思われたい人もいる。
同じ行動でも、根っこの思いは違う。
人の評価を期待して、自分を認められるためにするのではなく、自分の喜びに繋がるものであればいい。
優しさの連鎖でお互いに笑顔が増えていくに違いない。
時々自分へのやさしさも発揮することはとても大切だ。

誰かにもらった優しさは、ちゃんと覚えているから。
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