はじめの第一歩


友人に会うために東京へ向かう。
夏の暑い日差しの中、どこもかしこも絶賛お出かけモードで、人混みが苦手の私は、なるべく人の少ない時間帯を選択したつもりだが、なかなか思うようにはいかない。
どこを見ても人は多いが、それでも気持ちは、楽しい。
アイスコーヒーを片手に、早く到着している列車に乗り込む。
これから数日は解放感を満喫しよう。
大人になってからの旅は、冒険ではなく、恐怖もなく、余裕があって景色もゆっくり落ち着いて眺められる。
持て余すような時間ですら、笑顔で受け止めることができる。
初めての体験では、どきどきやワクワクなどの弾む気持ちを生むが、2回目以降のほっこりした安心感が私は好きだ。
”初めて”にはいつも驚かされてきた。
幼いころから、初めての場所、初めての出来事、初めての音、初めての匂いや空気、初めての人などに接すると妙な緊張感がみなぎり、いつもとは違う私になってしまう。
私は緊張しがちな人なのだろう。
確かにそうなのだが、20歳近くになると心臓がバクバク、冷や汗タラタラなどのわかりやすい体の変化はなく、なぜか直前まで、普通に話していたりする。
自分では緊張しているという感覚はないのに、本番が始まると声が出なくなったり頭が回らなくなったりする。
自分でもショックを受ける。
『えっ、さっきまでなんてことない普段通りの心持ちだったのに…なんで…』
悔しい思いを何度も重ねてきた。
なぜなんだろう、と自分の生態をなかなか理解できず、ずっと不思議だった。
時々思い出す、5歳の自分。
水泳教室で、最後の遊びの時間の『飛び込み台から飛び込んでみよう』がどうしてもできなかった。
みんなは「怖い~」とか「無理~キャ~」とか言いながらも、笑顔で順に飛び込んでいく。
私はお先にどうぞどうぞと後ろに下がり続け、とうとう最後の1人になった。
「このままではみんなにも先生にも迷惑をかけてしまう」
「みんなできるんだから私にもできるはず」
「私より小さい子も飛び込んだんだからそんなに怖いことじゃないよ」
「みんな遊び気分で楽しそう、そっか、楽しいことなんだ」
「大丈夫、大丈夫、怖くない」
頭の中で様々な言葉が自分を励ましていた。
逃げ場を無くして飛び込み台の上に立ってみたが、体が動かない、足が進まない、どうしても無理。
飛び込むことを楽しめない、嫌だ、みんな見ている、できない私を見ないでほしい、恥ずかしい。
応援しないで。
待たないでほしい、無視してほしい。ここにいたくない。
頭の中では、飛び込んで、水中で笑っている私がいる。
一瞬だ。
多分1分もないくらい。
足から飛び込めば、痛さもないはず。
私は泳げるのだし、水が怖いのでもない。
でも、でも…。
できなかった。飛び込めなかった。
授業終了のチャイムがなった。救われた。
飛び込まずに済んでほっとした気持ちが大きい。
ごめんなさい。
できない私でごめんなさい。
数年後、私はリレーのスタートで、飛び込み台から飛び込んでいる。
そう、本当にできないことではなかった。
幼かった私には、あのプールは広くて深くて、恐ろしいものだったのかもしれない。
大人になってもやっぱり初回はうまくいかないことが多かったように思う。
1回目はダメなのだと自覚したのは、散々失敗をし続けて30代後半。
ずっとそうだったのに、懲りずにめげずに頑張ってきた自分を褒めてあげたい。
HSP気質の私は、1回目は様子を見たり、周囲の空気や、立ち位置、周囲の人々のバランスを読みとることに集中してしまい、自分の出来映えよりも、人の視線などに気を取られてしまう傾向が強い。
慣れない場所にいる時は本領を発揮できないことが多い残念な私だが、でも2回目以降はうまくいくことも知っている。
不思議なことに、1番最初に見た景色はずっと覚えている。
痛みを苦味を伴った経験の中で笑顔を増やしてきたのだなと改めて思う。